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【踊る島人 ~日本紀行~】
最終回 番外編・台湾

日本の島々を巡ってフラ・ダンサーをレポートしてきた踊る島人が最終回を迎えました。最後に訪れた島は、日本を飛び出して、台湾へ! 台北(タイペイ)でも、私たちと同じように、パウ・スカートをはき、スタジオで汗を流すフラガールたちに出会いました。そんな彼女たちの台湾のフラ事情をリポートします。


在日本本島的大小島嶼尋找舞動的島人們所做的追蹤報導此次將是最後一回


而這次離開日本到達的是台灣的台北


但是這群人們也和我們一樣穿著Pa'u裙


在教室裡努力練習並揮灑著汗水


讓我為大家介紹在台灣的HULA!


踊る島人


~ 日本 紀行


 


第6話


番外編 台湾


吉見大介● 写真 ・文


 


島旅~台湾へ


  到着 日の 夕暮 れ、片側4 車線 ある 大通 り沿い、 オフィス ・ビルや マンション や デパート が立ち並び、 排気 ガスにすすけた 都市 の 様相 を見せている 街角 に立つと、一昔前の西麻布のあたりを思わせる 景色 に少し懐かしさを覚えた。 首都 高速 の代わりに 道路 の上を走っているのは、 市内 の 主要 交通 網であるモノレールだとテイさんが教えてくれた。 日本 語 圏でも 英語 圏でもない 異国 台湾で僕を迎えてくれたテイさんは、5年前まで 日本 留学 していた 日本 語 も 流暢 な台湾 女性 。2年前にここ台北(タイペイ)に スタジオ を オープン してフラを教えている。テイさんに連れられ角のビルの3階に上がってフラ 教室 のドアを入ると、10数人のパウ・ スカート をはいた台湾 女性 たちが迎えてくれた。



異国のフラガール


 


 台湾へやってくるまで、じつは 不安 だった。これまで 身近 に台湾 出身 の知り合いがいなかったから、僕にとって台湾の人はまるで 未知 の人たちだ。台湾の人たちが話すのが台湾語なのか 中国 語なのかさえ知らない。そしてどちらにしても僕は話すこともできなければ聞き取ることもできない。台湾の人たちが踊るフラが、ちょっと違うものだったらどうしよう。まったく違う 価値 感でフラが捉えられていたらどうしよう。台湾でフラを踊る人たちと心が通じ合わなかったらどうしよう。僕には台湾の人がフラを踊る、ということに、どうもピンと来ていなかった。だからこそ 実際 に訪れてみたかったのだが。


 


  レッスン が始まり、 スタジオ の端でカメラのレンズ越しに 彼女 たちが踊るのを 観察 した。CDプレーヤーから次々と流れるフラ・ソングの レパートリー をみんなで合わせる。20代から30代の 女性 たちが 中心 のこの グループ 、ダンサーのフラ歴は 半年 から2年くらいのはずだが、なかなかレベルが高そうだ。Tシャツとハワイアン・ プリント のパウ・ スカート 姿で踊る 彼女 たちは、 一見 踊れる 日本 のフラガールたちとなんら変わらないが、よく見ればその顔つきはやはり 日本 人 とは少し違うのに気づく。そして何より大きく違うのは 彼女 たちの笑顔。とても 自然 な 表情 の笑顔は 南国 の人のそれだ。曲と曲の間で交わされる 言葉 はまったく 理解 できないけど、 仲間 同士で茶化し合って笑っていたと思ったら、曲が始まると 素敵 な笑顔で踊り始める 彼女 たちの姿を見ていたら、どんどん 親近 感 が涌いてきて、 レッスン が終わるころには、台湾フラガールに愛おしささえ感じるようになっていた。


 


台湾 女性 、フラと出会う


 


  彼女 たちはいったいどのようにしてフラと出会ったのだろう。 レッスン のあと、一人ひとりに 質問 させていただくことにし、 英語 、 日本 語 、そして 現地 台湾の話し 言葉 とが入り混じる 会話 で、もうひとりの 日本 語 スピーカー 、ラーさんの助けをかりてなんとか聞きだした。


  彼女 たちがフラと出会ったきっかけは4つの パターン に分かれていた。リロ&スティッチの 映画 を観て、フラガールの 映画 を観て、ハワイでフラを見て、台湾でテイさんの踊りを見て、という具合だ。どうやら台湾には 過去 にフラが 上陸 したことがないようで、その 認知 度はゼロに等しかったらしい。「フラって何?どこの国の踊り?」という 程度 だったという。みんな 固定 観念 も 予備 知識 もない 状態 で、初めて見たフラに惹かれたわけだ。そしてフラを習えるところはないかと探し出したのがテイさんの 教室 だったわけだ。ほとんどの人が インター ネット のサーチで見つけた、というのが 興味 深い。そうやって集まった 彼女 たちのほとんど 全員 が バリバリ のOLだというのも、なんだか気になるところだ。


  実際 にフラを習い始めてどう感じたか、という 質問 にみんな口を揃えて語ったのが、フラの踊りが歌の 意味 とつながっていることに対する驚きと、それを 自分 の 身体 を使って 表現 する喜びについてだった。フラを踊ると幸せな 気持 ちになる、と誰もが チャーミング に 微笑 んで言うのだ。


 台湾 初日 の夜、僕はもう台湾が好きになっていた。



ハワイ、 日本 、台湾のトライアングル


 


 テイさんとともに僕と台湾ガールズたちの間に入って コミュニケーション を図ってくれた、 グループ の リーダー 格で 日本 語 も 流暢 なラーさんは、2004年にハワイ 旅行 をしたときに、アラモアナの ステージ で10歳くらいの金髪の女の子が踊るのを見て 感動 したそうだ。その子が踊っていたのは『涙そうそう』(カ・ノホナ・ピリ・カイ)で、それを見て涙が流れたという。その後台湾でフラを習えないものかとネットで探し続け、 教室 を始めたばかりのテイさんを 発見 したのだそうだ。それ 以来 仲間 同士の付き合いらしい。昨年11月、テイさんとラーさんは、二人の 生徒 と連れ立って4人でハワイを訪れた。ワイキキ・フラ・コンフェレンスに 参加 するためだ。フラに関する 情報 源 は、 日本 から取り寄せるフラレアと インター ネット 、という台湾の 彼女 たちにとって、ハワイでの ワークショップ 他の 体験 はとても 有 意義 なものだったようだ。台湾 滞在 2日目の夜、 教室 に 見学 に行くと、その日の レッスン は、ハワイで習ったカヒコ『カーヴィカ』をみんなで初 練習 していた。


 さて、先生のテイさんのフラとの出会いは日本留学中だった。もともと台湾でダンス・スクールに通っていた彼女は、クラシック、モダン・ダンスともにこなすダンサーだが、日本でたまたま習い始めたフラに強く惹かれ始める。カルチャー・クラスから次第にのめりこんでいった彼女は、日本の教室で多くを学び、大学卒業後台湾にもどることになる。OLをやりながらイベントなどで踊るようになると、少しずつこの踊りを習ってみたいという人が現われ始めた。そして2年前に 教室 を開いたわけだが、台湾でフラを教えているのはテイさんだけではない。テイさんによれば、 近年 台湾ではベリー・ダンスが 爆発 的 な 人気 で、各地に スクール ができ、そういう スクール が 生徒 集めのためにフラ 教室 も始める 傾向 にあるという。そして多くは1 週間 くらいハワイに行って、 短期 的に数曲習い、「私はフラの 先生 です」と 看板 を掲げる、というような具合らしい。そういう人たちのなかには、テイさんのフラはハワイで習ったものじゃない、と 中傷 するものまで現われたという。


「もめごときらいだから、そういう人とは関わらないようにしてるけど、でも 日本 のフラのレベルも知らないで!って腹が立ったこともあります」とテイさん。1 週間 だけハワイへ行って習って、それがハワイのフラだなんて、いったいフラの何を教えられるというのか。テイさんの 不満 は 自分 へも向けられている。もっと 自分 が 勉強 したい。ハワイの人に恥じないものを伝えたい。そして台湾にフラ・ダンサーをもっともっと増やしたい。


 


 台湾3日目、 世界 一を誇る101階建てのタワー『台北101』のエリアにあるイベント 会場 でテイさんをはじめ7人の台湾フラガールが踊るのを見ることができた。 会場 の人たちの 視線 を集めて、 彼女 たちの笑顔は一段と輝いて見えた。


  一緒 に 食事 をしたり夜市に出かけたりして 時間 をともに過ごすにつれ、 言葉 が通じないことがまったく気にならなくなってきたのは 不思議 だった。 彼女 たちが交わす 言葉 の響きが、 意味 はわからないけど、妙に 心地 よいものになっていった。もっと 彼女 たちのことが知りたいと思い始めたころ、僕の短い台湾 滞在 は終わりを迎えた。あんなに 素敵 な笑顔で踊る 彼女 たちが、台湾で日々何を感じ、何に喜び、何を悲しみ、 生活 しているのか。僕はまったく知らない。台湾フラガールたちのあの笑顔の奥にあるもの、そこに少しだけ触れることができたら、そう思いながら島を離れた。



跳舞的島人   特別---台灣

島嶼之旅~台灣


到達當天的傍晚,單行四線道的大馬路、辦公大樓和公寓住宅及百貨公司林立,被排放的廢棄薰黑的都市,站在街角的我,突然覺得這景象像極了早期的西麻布的感覺,有一點懷念的味道。 鄭 老師告訴我,那些高架軌道就是,目前為市內主要交通網的捷運線路。在這既非日語圈也非英語圈的異鄉台灣,迎接我的 鄭 老師是一位,5年前到過日本留學、日與非常流利的女性。 鄭 老師2年前在這裡(台北)開設了HULA舞蹈教室。當 鄭 老師帶我到一棟角落大樓的3樓教室時,迎接我的是10多位穿著PA'U裙的台灣女子。


異國的HULA Girls


要出發來台灣之前,其實心中充滿了許多的不安。由於我的身邊並沒有台灣出身的友人,對我來說,台灣人到底是什麼樣的人,我完全沒有概念。連台灣人講的是台灣話還是中國話都不知道。說不定連我說什麼他們都無法理解呢。台灣人跳的HULA會不會有一些不一樣呢?如果他們認為的HULA是完全不一樣的東西該怎麼辦呢?如果我的心意無法與這些在台灣跳HULA的人相通,該怎麼辦呢?對我來說,台灣人跳的HULA到底是什麼樣的舞蹈,完全沒有概念。正因為如此,我想一定要實際親眼看看才行。


開始上課了,我透過相機的鏡頭從教室的一隅觀察她們。大家跟著從CD player中撥放的HULA曲目一一地練習著。這些年齡以20~30歲為主的HULA女性舞者們,資歷大都在半年到2年左右,但是程度水準卻是相當高的。看到她們穿著T恤跟PA'U裙跳著HULA,乍看之下跟日本的舞者好像沒有什麼不同,仔細觀察就會發現她們的表情還是和日本人有些不一樣的地方。而最大的不同就是她們的笑容。就是南洋地方人特有非常自然的表情笑容。雖然每一首曲子的中間空檔時間,她們說著我聽不懂的語言,同伴之間開著玩笑嘻鬧,但是一聽到曲子,她們立刻又展現非常亮麗的笑容跳著,讓我覺得愈來愈有親近感。而課程結束時,我好像也可以感受到台灣Hula girls的可愛之處了。


台灣女性與HULA的相遇


她們到底是如何接觸到HULA的呢?在課程結束後,我訪問了她們每一個人。交雜著英文、日文和當地台灣話,以及藉著另一位會說日 文的羅 小姐的協助之下,才完成的訪問對談。大致上她們接觸HULA有以下4種情況:看了『星際寶貝』的電影、看了『扶桑花女孩』的電影、去夏威夷看到HULA表演、在台灣看到 鄭 老師的表演等。基本上好像過去在台灣HULA並沒有在台灣出現過,所以對於HULA的認知度幾乎是等於零。「HULA是什麼?是哪裡的舞蹈?」大概都是這樣的疑問。大家在對HULA並沒有主觀意識也沒有預設知識的狀態之下,就立刻被第一次所看到的HULA而吸引住了。而在尋找哪裡有HULA教室時,找到的正是 鄭 老師的HULA教室。幾乎所有的人都是在網站上找到的這點,讓我覺得很有趣。還有她們幾乎都是白天有著正當工作的粉領族,也讓我覺得不可思議。


問到她們在學習HULA之後有什麼感覺時,大家的回答大部分都是,HULA的手勢可以表現出歌曲詞意,並用自己的身體表現出這些情感,覺得非常的喜悅快樂。「學習HULA讓自己覺得很幸福」,她們每個人都用充滿著喜悅的微笑回答我。


夏威夷、日本、台灣的三角習題


與 鄭 老師一起,幫助我進入台灣HULA Girls團體、也會說日 文的羅 小姐,在2004年去夏威夷旅行時,在Alamoana購物中心的舞台看到一位年約10歲的金髮小女孩跳著HULA,當時覺得非常的感動。那個孩子跳的是日本歌手夏川里美的『淚光閃閃』(Ka nohona pilikai) 一聽到曲子時幾乎感動到快要流下眼淚。回國之後,不斷地在網路上尋找哪裡有HULA教室時,便發現了剛剛在台灣起步教學的 鄭 老師。從那時起,就愈聚愈多喜愛HULA的同好們。而在去年的11月, 鄭 老師帶著 羅 小姐以及另外兩位學生一起到夏威夷參加waikiki hula conferenceHULA相關的資訊來源,大都是從日本訂閱「HULA Le’a」以及網路。對於她們來說,那次夏威夷的work shop是相當有意義的活動。在台灣訪問的第2天晚上的教室教的正是,她們在夏威夷學到的『KAWAKI』。


老師接觸到HULA是當時她在日本留學的時候。原本在台灣就是舞蹈科班出身的 鄭 老師,古典芭蕾、現代舞等都是她專精的項目,但是她卻被偶爾接觸到的HULA而產生了極大的興趣。開始只是在一些文化教室學習初級HULA,漸漸地也參加了日本當地教室的學習,而大學畢業之後就選擇回到台灣。回到台灣之後,一邊上班一邊也利用機會表演,也慢慢地開始感動一些想要學習HULA的人。而在2年前開設教室開始HULA教學。但是在台灣教HULA的不只是 鄭 老師而已。根據 鄭 老師的說法,近年來台灣肚皮舞的風氣盛行,在台灣各地擁有大量的學生,而最近她們為了招攬學生也開始教起了HULA。其中不乏有一些到夏威夷短期集訓學了幾首舞曲,就打著「夏威夷師資」的招牌的人。當中也有一些人認為 鄭 老師的HULA並非來自夏威夷而惡意重傷她。


「我不喜歡去跟人家爭辯什麼,所以盡量不去招惹那些人,不過她們連日本的HULA程度水準根本不了解!!有時候真的覺得很生氣。」 鄭 老師說。不過去夏威夷一星期,就可以自稱是老師的人,這些人到底可以教什麼HULA?老師對於現狀的不滿,也歸咎於自己的不精。 鄭 老師說:「自己應該要更加努力的學習,要呈現出讓夏威夷人看了也不覺得丟臉的HULA,還要培養更多的HULA舞者。」


 


在台灣的第3天,在世界第一高的建築物101旁的會場,欣賞 鄭 老師帶領的7位舞者的表演。她們成功地吸引了人群的目光,她們的笑容也更加地燦爛迷人。


時間隨著跟她們一起吃飯一起逛夜市而飛逝,不可思議的是,我卻完全感受不到語言的隔閡。雖然她們說著我聽不懂的語言,但是奇妙的是卻好像又可以理解她們。當我正開始想要再多了解她們一點時,我在台灣的旅程也即將要接近尾聲了。有著那樣燦爛笑容的她們,在台灣過著的每一天有什麼樣的感受、有什麼樣的歡笑、什麼樣的悲傷,我完全不知道。台灣的HULA Girls的燦爛笑容的背後,我好像可以觸摸到些什麼,帶這樣的感受我結束了我的旅程,離開台灣。


 


 


                                                                                                                                                                   Haru譯



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